The Tumblr Circus

ネット以降の「エロ写真」の終焉

 1990年代以降、特にインターネットがつながって以降は、海外のサーバー情報に自由にアクセスできるようになったため、実質的に「わいせつ画像」などの規制が意味を失ってしまいました。

 例えば「エロ写真」という言葉を考えてみましょう。私たち40代以上の人間にとって、子供時代「写真」とは、フィルムを「DPE(現像・焼き付け・引き伸ばし)店」に現像に出し、気に入ったものは1枚1枚焼き増ししてもらうものでした。仮に「エロ写真」をどこかで誰かが撮影したとしても、現像室など設備を持っていなければ、そんなものを焼き付けることはできなかった。

 それが今ではデジタルカメラ以上に携帯電話で、いつでもどこでもどんな写真でもすぐに撮って、勝手に焼き増しもできるようになっています。でも、それだからといって「世の中にものすごく『エロ写真』が蔓延して、風紀が乱れたか?」と聞かれれば、「そんなふうには見えない」と多くの人が答えるでしょう。つまりそれが、今日は普通の人の正常な性的羞恥心を決定しているわけです。

 この背景には、インターネットの普及と期を一にして解禁されたヘアヌードなどの決定的影響がある、と私は思います。1970年代の素朴な少年(というのは僕らの世代ということですが)から見れば、鼻血を吹いて倒れそうなシロモノが1990年代には駅のキヨスクで売られている、普通の週刊誌のグラビアに印刷されるようになってしまった。つまり社会は動くわけであり、同時に普通の人の正常な性的羞恥心もまた大きく変化するのです。

 時代が移れば、道徳も変わる。また、同じ時代の中でも、世代が違えば道徳観は当然ながら全く違う。これは本質的な現実です。もし、明確に犯罪と認められるようなケースでないものを「誰がどう見ても明確な違い」などと法が確かな定義もせず乱暴に決めてしまうなら、最初から法としてウソを書いていることになり、単なる空文と化してしまうでしょう。空文化した法の条文の暴走くらい恐ろしいものはありません。

 かつて僕らが思春期だった1970年代にはドキドキした、紙焼きした「エロ写真」というモノは、ビデオからインターネット、DVDまで様々なメディアの変遷の中、21世紀の日本では完全に死滅してしまったと言えるでしょう。しかし、ではそのような、日本ではきわめて穏当な「エロ写真」を中国に持っていったら? あるいはサウジアラビアに持っていったなら? 社会と風土が違えば、公序良俗のあり方は全く違うのは言うまでもありません。グローバリゼーション以降、こういう地域差の問題が実は本質的に問われているのですが、現在の「非実在青年」周りの話題は、残念なことにこうしたレベルに到底達していません。

チャタレイ夫人は誰がどう見てもわいせつか?:日経ビジネスオンライン
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